

「竹寿庵」は、もともと坪内翁と親交の深かった作家・柴田錬三郎氏の書斎として建てられたもの。

和が基本でありながら、モダンな印象を受ける「坪中川」の座敷。前庭は、足立美術館創設者の足立全康氏の手によるもので、温暖な地の松は姿が良くないと、わざわざ能登の荒波を受けて育った松を取り寄せるなど数々のこだわりが。

「吟松亭」の小間。殿様の茶室だけに、客人を招き入れるのも一般的なにじり口ではなく、貴人口となっている。腰板には薄く削られた杉の木が使われ、夕暮れのわずかな時間に西陽を受け赤色に染まる。 |
日本最古の湯として知られる道後から、石手川沿いに山間へ車で10分ほど。深い緑の山を借景に、50万坪の広大なリゾート施設が姿を現す。その中心となっているのが、ホテル奥道後だ。全302室・850人収容という、四国にあってかなり大型の温泉リゾート。敷地内には3万本のサクラや8万株のアジサイなどの花々が植えられ、バードウォッチングが楽しめる散策路、ガーデンプール、ロープウェイまである。
チェックインのあと、のんびりと旅装を解いていると、「茶室でお茶を一服いかがですか」とスタッフの声。案内されるままに広い館内をついていくと、目の前の景色が、リゾートホテルから古き良き日本の風景へと一変した。突然違う場所へタイムスリップしてしまったような気分だ。
しっとりと苔むした日本庭園、手入れの行き届いた松や竹林の間から、趣の異なる四軒の日本家屋が顔をのぞかせる。
東京赤坂から移築した料亭「坪中川」、徳島祖谷の合掌造りを元に建てた「竹寿庵」、南予の旧家を移築した「いろりの間」、そしていちばん奥が、元は松山藩主が建てたといわれる茶室「吟松亭」である。
実は、このホテルの創業者は、あの「来島どっく」をはじめ数々の企業再建を成功させ、昭和の経済史に大きな足跡を残した故・坪内寿夫氏である。「再建王」「四国の大将」など数々の異名をとる経済界のドンが、ふるさと愛媛の観光支援にと昭和39年に総工費35億円をかけて開発したのが、ここホテル奥道後だ。そしてこの風情ある一帯は、坪内翁が造船関係者や政界財界人、親交の深かった文化人の接待のために特別に造ったものだった。
かつては賓客のもてなし用だけであったこれらの施設。最近では「いろりの間」「竹寿庵」「坪中川」は、料亭として一般客の食事や宴会などにも使われるように。「吟松亭」も、いつでも必ずというわけにはいかないが、一部の利用者はお抹茶のサービスが受けられるようになった。
というわけで、幸運にもお殿様の茶室で一服頂戴できることになったわけである。「吟松亭」は旧松山藩の初代藩主・久松定行侯によって造られ、明治時代に裏千家家元・玄々斎によって若干手を加えられたものだとか。数々の変遷を経て、道後の民家にあった茶室をここへ移築したのだ。
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