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下駄履きの道後名人湯の町、湯上がりの愉しみ
北へ登って町のはづれへ出ると、左に大きな門があって、門の突き当たりが御寺で、左右が妓楼である。山門の中に遊廓があるなんて、前代未聞の現象だ。―――夏目漱石『坊ちゃん』より懐旧のネオン坂色里や 十歩はなれて 秋のかぜ 正岡子規
懐旧のネオン坂
 湯の町には艶のある遊びがつき物。ご多分に漏れず、道後にも昭和30年代初めまで「松ヶ枝町」という花街が存在していた。花街とは遊女屋や芸者屋などが集まっている遊廓街、色街のこと。道後温泉本館の裏手のネオン坂歓楽街はその名残で、勿論今は遊廓などはなく、夜には小さな飲み屋さんがポツン、ポツンと灯りをともしている。
 ネオン坂はゆるやかな坂道で、上り詰めたところには、時宗の開祖・一遍上人の生家である宝厳寺がある。一遍上人は15歳で出家、南無阿弥陀仏の念仏を布教するために全国を渡り歩いた人物だ。「となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏なむあみだ仏」という彼の教えは至って明快で、念仏を唱えれば誰でも極楽浄土へ行けると説いている。偉大な宗教家のルーツが色街のすぐそばにあるというのは、何とも座り心地の悪い話のようであるが、人間の本能、本質を鑑みればそれもむべなるかな。宗教も色街も、迷える人々に救いをもたらすのである、と言っては穿ちすぎだろうが。
 厳めしい顔をした(実際に松山中学では非常に厳しい教師であったらしい)漱石先生も、この色街には並々ならぬ興味があったのだろうか。冒頭の小説は「一寸這入って見たいが」という言葉に続く。ちなみに漱石は、明治28年10月6日、同居していた親友の正岡子規とともに松ヶ枝町に足を踏み入れた―――といってもその道行きは至って健全。まず道後温泉本館で入浴し、宝厳寺にお参りする時に松ヶ枝町を通った。その際、もともとこの外出は吟行が目的であったので、子規は宝厳寺の山門に腰掛けて一句ひねった。その後、二人は大街道の芝居小屋で狂言を見たという。
 漱石や子規が散策した時代、ネオン坂が松ヶ枝町と呼ばれた時代の道後温泉街はどんな風情だったのであろうか。人影まばらな坂道を見上げていると、ふとそんな思いが過ぎった。
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※文・写真は四国旅マガジンGajA023号』(http://www.kk-spc.co.jp/gaja/)からの転載です。基本的には発売した2005年2月1日時点のデータですので、現在は変更になっている場合もあります。なお、住所・電話・料金は2005年7月15日現在のものに更新しています。あらかじめご了承ください。
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