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癒しのくに四国
御詠歌/いざさらば今宵はここに志度の寺祈りの声を耳にふれつつ
本 尊/十一面観世音菩薩
真 言/おん まか きゃろにきゃ そわか
宗 派/真言宗善通寺派
開 基/藤原不比等
志度寺までのアクセス
高松西インターチェンジから国道11号線を志度町に向かう。JR志度駅を越え、県道3号線との交差点を左に折れ、堤防の手前に駐車場。約40分。
香川県さぬき市志度1102
087・894・0028
宿 坊/なし 駐車場/あり(無料、30台、裏門横・境内まで徒歩すぐ)
▲どっしりした構えの仁王門。五重塔は昭和50年の再建
歴史・全体像
「志度寺縁起絵図六巻」(重要文化財)によると、推古天皇33年(625)、薗子という尼が霊木で本尊を彫り、お堂を建てたのが寺の始まり。その後、天武天皇10年(681)、藤原不比等が妻である海女の墓を建立して「死度道場」と名付けた。その息子の房前(ふささき)が持統天皇7年(693)行基とともに堂宇を拡張し、僧侶の学問所や信者の修行の場となった。縁起にも語られる「海女の玉取り伝説」は、謡曲「海士(あま)」のもとになっている。江戸時代には、志度出身の平賀源内を長崎に遊学させるため、当時の志度寺住職が尽力したという。源内の墓所が、志度寺の塔頭の一つである自性院にある。
歴史ある寺にふさわしく、菅原道真筆「仁王経二巻」など寺宝も多い。堂々とした造りの仁王門(重要文化財)は、本堂とともに讃岐藩主・松平頼重が寄進したもので、日本でも有数の名門とたたえられる。その門に納められた仁王像は、鎌倉時代の運慶作とされ、東大寺の仁王像の習作と言われている。室町時代に作られた曲水式庭園や、歌舞伎「花上野誉石碑(はなのうえのほまれのいしぶみ)」の仇討ち話で知られる田宮坊太郎の乳母・お辻が水垢離(みずごり)した「お辻の井戸」など、見所も数々ある。
本堂
仁王門とともに讃岐藩主・松平頼重が寛文10年(1671)に寄進したもので、本尊とともに重要文化財に指定されている。本尊および両脇侍の不動明王・毘沙門天は、平安初期から中期にかけての作で檜の一木造り。
大師堂
閻魔堂、奪衣婆堂(だつえばどう)などとともに、讃岐国主・生駒正俊が建立したもの。生駒公は房前を祖とする藤原北家の末裔である。堂の背後にそびえる大楠は、弘法大師お手植えと言われている。
▲隣り合って建つ本堂と大師堂の間に納経所がある
ここが見所
海女の墓
房前が母の供養のために建立した千基の石塔のうちの一部と言われ、約20基が並んでいる。側には高浜虚子の長男・高浜年尾の「盆にきて海女をとむらふ心あり」の句碑が立つ。また、海女の命日が旧暦の6月16日であることにちなみ、毎年この日には境内で「志度の十六度市」が開催され、農機具や食べ物などの出店でにぎわう。
ここが見所
曲水式庭園・無染庭(むせんてい)
3000坪の広さがある曲水式庭園は、室町時代の四国管領・細川氏が代々寄進して作らせたもので、京都の竜安寺石庭を作った細川勝元が完成させた。書院の庭に当たる枯山水の「無染庭」は、7つの石と白砂で構成され、竜安寺石庭のエッセンスを感じさせる。見学料大人200円。
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