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御詠歌/悪人と行き連れなんも弥谷寺ただかりそめも善き友ぞよき
本 尊/千手観音
真 言/おん ばざら たらま きりく
宗 派/真言宗善通寺派
開 基/行基
弥谷寺までのアクセス |
さぬき豊中インターチェンジから高松市内向きに国道11号線・県道48号線へ。ふれあいパークみのの看板に沿って走り、右手少し上がった所に駐車場あり。約20分。
香川県三野町大見乙70
0875・72・3446
宿 坊/なし 駐車場/あり(無料、50台、参道の麓・境内まで徒歩約25分) |
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▲石段から仁王門を見上げる
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歴史・全体像 |
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弥谷寺のある標高382mの弥谷山は、死霊が帰る「仏の山」として昔から民間信仰を集めてきた。地元では家に死人が出ると死霊を背負う格好をして水場まで登り、降ろして帰る風習が残っており、現在でもこの山に永代供養したり、遺骨などを納めたりする人も多いとか。札所へ続く石段の脇には、死者の霊魂を祀るためか五輪塔が数多く置かれ、樹木の影には古い墓が並ぶ。また、急勾配な石段は262段+108段。八十八カ所中でも有数の難所であると言われている。
行基が弥谷山に登ったところ、四国、中国地方の8国が眺望できたので、東の峰に阿弥陀如来、西の峰に釈迦如来を安置し、蓮華山八国寺と名付けたのが始まり。後に弘法大師が7歳の時にこの山で苦行し、大同2年(807)、再び登山して真言密教の秘法を修行していると、5本の剣が降ってきて、金剛蔵王権現のお告げを聞いたという。そこで山号を剣五山に替え、その辺り一帯に谷が多いことから、寺名も弥谷寺に改めて札所に定めたと伝えられている。この時、大師は千手観音を刻んで安置し、伽藍を再興した。寺は戦国時代に兵火で焼失したが、慶長5年(1600)に再興され、現在にいたっている。 |
本堂 |
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| 本堂は大師堂のある境内から、さらに170段の石段を登ったところにある。岩山に取り囲まれたような形で建っており、まるで建物そのものが岩壁に埋め込まれているよう。近くの岩壁には阿弥陀三尊など多くの仏が刻まれており、これらも大師が刻んだものと伝えられている。 |

▲本堂からの絶景を見下ろせば、疲れも吹き飛ぶ |
大師堂 |
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| 大師堂も本堂と同じように岩壁に埋め込まれたように建っている。奥之院は岩壁に密着しており、廊下づたいに多くの位牌が置かれている。奥之院は「獅子の岩屋」と呼ばれ、弘法大師が幼少の頃に学問に励み、再び入山した際に真言密教を修行した場所だと伝えられている。また、大師堂を入ってすぐの場所に納経所がある。 |
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▲苔むした石段から見上げた多宝塔 |
ここが見所 |
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獅子の岩屋
大師堂の奥にある、獅子が口を開いた形の岩窟。獅子の遠吠えは仏の説法と同じものと考えられていることからも、この名がついた。中には大師像と阿弥陀如来像(父君)、弥勒菩薩像(みろくぼさつぞう。母君)が安置されている。そして、曼荼羅壇や護摩壇を三方に囲んで、岩壁に阿弥陀如来座像と大日如来座像、地蔵菩薩座像を左右対称にして刻まれている。 |
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ここが見所 |
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弥陀三尊磨壁仏
大師堂のある境内から本堂へ向かう石段を登りきった所にある、像高約1mにも及ぶ阿弥陀三尊が刻まれたもの。舟形光背をバックに温和な表情をたたえている。弥陀三尊に念仏を捧げると、未来に極楽往生が約束されるとか。弥谷寺にはこうした岩壁に浮き彫りにされている磨崖仏(まがいぶつ)が数多くあり、霊的な雰囲気をここかしこに漂わせている。 |
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