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癒しの巡礼/四国八十八カ所

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地図四国霊場八十八カ寺巡り
第七十番札所 本山寺
御詠歌/本山に誰が植えける花なれや春こそ手折れ手向けにぞなる
本 尊/馬頭観音
真 言/おん あみりとう どはんば うん ぱった そわか
宗 派/高野山真言宗
開 基/弘法大師

本山寺までのアクセス
さぬき豊中インターチェンジから観音寺市内向きに国道11号線へ。観音寺信用金庫のある交差点を右折して直進。本山寺の五重塔が見え、左手に駐車場あり。約5分。

香川県豊中町本山甲1445
0875・62・2007

宿 坊/なし 駐車場/あり(無料、30台、寺のすぐ前・境内まですぐ)
第七十番札所 本山寺
▲屋根のカーブが美しい本堂は国宝指定

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当時の姿そのままに幾多の戦禍を免れた「一夜建立」の札所
歴史・全体像
 田園風景の中に、遠くからでも五重塔がくっきりと見える。この五重塔は札所を目指すお遍路さんにとって格好の目印だ。正面の仁王門はどっしりとした八脚門で、唐風の絵模様の彫刻が見事。国の重要文化財に指定されている。本山寺は大同2年(807)、平城天皇の勅願により、弘法大師が一夜のうちに建立した「一夜建立」の寺であると伝えられる。この用材は、讃岐の山では手頃なものが見つからなかったため、阿波の祖谷山より切り出したものだという。この時、本尊の馬頭観音(ばとうかんのん)、脇士の薬師如来と阿弥陀如来を一刀三礼にて刻んだ。馬頭観音を本尊としているのは、八十八カ所でこの札所が唯一。馬が盛んに草を食べるように、人間が持っている悪心や欲心、怒り、悩みををなくしてくれるのだとか。境内には実物大の2頭の馬の像も立っている。
 また、戦国時代に讃岐を襲った長宗我部元親の兵火を免れた数少ない寺院の一つでもある。元親が讃岐に攻め入った時、本山寺にも軍勢が押し寄せた。しかし、当時の住職は境内に押し入ろうとする兵を押し留め、斬られてしまう。兵が境内に入ると、阿弥陀如来の右の肘から血が滴り落ちていた。驚いた兵は境内から退き、寺は戦禍から免れたという。この伝説から、阿弥陀如来は「太刀受けの弥陀」とも呼ばれている。
 建てられた当時の姿を残す建造物には趣があり、悠久の風情を色濃く漂わせている。戦国時代以後の建築様式であることが多い讃岐の札所の中で希少な存在である。
本堂
 寄棟造り、本瓦葺きの重厚な建物。正安2年(1300)に建てられたもので、外観は京都風、内部は奈良風。鎌倉時代の折衷様式の傑作とされ、国宝に指定されている。昭和27年から30年には解体修理が行われた。建立当時の姿を留める屋根のカーブは、素朴でありながら独特の美しさと安定感をたたえている。
大師堂
 本堂に向かって前方に建つ三間堂で、棟札(むなふだ)から弥勒堂(みろくどう)、あるいは祖師堂(そしどう)とも呼ばれていたことが分かる。昭和59年から平成元年にかけて大修理が行われた。それに合わせて調度品も整えられ、すっかり美しくなった。
ここが見所
五重塔
 遠くから寺を望む時、こんもりと盛り上がった森の中に突出する塔の姿は、見る人の目に焼き付く。弘法大師が大同4年(809)に建立した創建時の損傷が激しく、見る影もない有様だったのを、明治43年に住職であった頼富実毅(よりとみじっき)僧正が復興させたものである。盲目だった頼富僧正は、札所巡りの五十九番国分寺を出て歩く途中で霊験を得て目が見えるようになり、その恩のために堂宇の復興に意欲を燃やしたという。

▲修行大師像の向こうにそびえる五重塔
ここが見所
本山寺鎮守堂
 桧皮葺きの美しい傾斜を見せる室町時代末期の様式を残す小社。天文16年(1547)建立の墨書が残る。安置されていた善女竜王像(ぜんにょりゅうおうぞう)は南北朝時代から室町時代初期のもので、請雨秘法の霊神。弘法大師が雨請いの修法を行った折に、その勧進によって姿を現したという。堂と共に県の文化財に指定されている。

▲天文年間の優美な姿を残す

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