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癒しの巡礼/四国八十八カ所

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地図四国霊場八十八カ寺巡り
第五十五番札所 南光坊
御詠歌/このところ三島に夢のさめぬればべつぐうとてもおなじすいじゃく
本 尊/大通智勝如来
真 言/なむ だいつうち しょうぶつ
宗 派/真言宗醍醐派
開 基/行基

南光坊までのアクセス
今治インターチェンジから、国道196号線片山交差点を左折、今治市街方面に直進。今治大丸の前を左折、約500mの左手にある。約7分。

愛媛県今治市別宮町3-1
0898・22・2916

宿 坊/なし 駐車場/あり(無料、10台、金比羅堂横・境内まで徒歩約1分)
第五十五番札所 南光坊
▲戦後再建された本堂

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大山★神社の別宮は、有名書家の遍路行の足跡が
歴史・全体像
 四国霊場で「坊」というのはここだけ。かつては別宮大山積神社と隣接しており、明治初年までは大山神社の別当寺であったという。その縁起は今から約1300年前にさかのぼる。河野氏の始祖・越智玉興(たまおき)の弟である玉純は、文武天皇の勅願を受けて大三島の大山積明神に勧請し、法楽所として24坊を建立した。しかし、海を渡らないと参拝に行けないため、和銅5年(712)にその別宮を越智郡日吉村に移転。同時に別当寺院として南光坊を含む8坊を移したという。だが天正年間(1573〜1592)には、伊予の全土を襲った長宗我部氏の兵火によって8坊は焼失してしまう。さらには越智氏の末裔である河野氏も滅亡。ただし、この南光坊だけは大山 神社の別当寺として再建された。江戸時代には藤堂高虎の祈祷所として薬師堂が再建されたほか、久松藩の藩主からも信仰を集めた。明治の廃仏毀釈の際には、本尊の大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)や十六大王子を薬師堂に返して、寺として独立する。だが、昭和20年の大空襲では大師堂と金比羅堂以外の建造物は焼失。本堂は戦後に再建された。

▲信仰を集める金比羅堂

▲ホームページもある。URL/http://www1.pasutel.co.jp/otera/

▲修行大師像のまわりには花が絶えない
大師堂・金比羅堂
 大師堂と金比羅堂は、戦火を免れた歴史ある建造物。とりわけ金比羅堂は、文久年間(1861〜1864)創建の歴史ある建物だ。大師堂は大正5年に建立。屋根の四隅が軽やかに跳ね上がり、その上にある相輪塔と相まって、荒波の中を走る船のような様相を呈している。地元の人から「別宮のお大師さん」の愛称で親しまれている。
▲歴史を感じさせる大師堂
ここが見所

▲有名書家の文字が残る菅笠
川村驥山の菅笠
 川村驥山(きざん)は、昭和25年に書道家としては初めて、芸術院賞を受けた人物。彼が天皇陛下のご招待を受けて宮中午餐会に出席した時、隣り合わせた作家・久保田万太郎から四国巡礼の話を聞く。大いに感動した驥山は、昭和29年より娘をともなって遍路行へ。その時に被っていた菅笠は、南光坊に保存されている。笠には「無所住而生其心」と書かれているが、これは「応さに住する所無くして而も其の心を生ずベし(菩薩はどのような行いにおいても跡を残すという執着する心の働きがあってはいけない)」という意味で、金剛般若経の中にある言葉。
ここが見所
高僧・天野快道の墓
 境内には、南光坊中興の祖・天野快道大僧正(1846〜1923)の墓が残っている。天野快道は、今治に伝わる「大楠と三匹の狸」という話の中で、境内で悪さをしていた狸と話をし、諭したという伝説が残っている人物。「頭脳明晰で体格にも恵まれた傑物」であったとか。大正7年には真言宗醍醐派管長に選ばれ、京都醍醐寺の座主をも務めた高僧であった。

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