ぐるなびトラベル(インターネット版旅の手帖)
ぐるなびへ
HOME >癒しのくに四国

癒しの巡礼/四国八十八カ所

TOP徳島エリア高知エリア愛媛エリア香川エリア前の寺へ次の寺へ
地図四国霊場八十八カ寺巡り
第五十四番札所 延命寺
御詠歌/くもりなきかがみのえんとながむればのこさずかげを
うつすものかな
本 尊/不動明王
真 言/のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ
そはたや うん たらた かんまん
宗 派/真言宗豊山派
開 基/行基

延命寺までのアクセス
今治インターチェンジから国道196号線を大西町方面へ向かい、明徳短大先を右折。県道38号線との交差点を左折し、自動車会館を右折後、直進する。約5分。

愛媛県今治市阿方甲636
0898・22・5696

宿 坊/なし 駐車場/あり(100円、30台、トイレ横・境内まで徒歩約1分)
第五十四番札所 延命寺
▲緑をバックに映える本堂

お寺の場所を地図で見る近辺の宿泊施設一覧

郷土の勇士が眠る静寂な寺には不思議な鐘伝説
歴史・全体像
 奈良時代の天平年間(729〜749)、行基が不動明王を刻み、今治市の西北にある近見山の頂きに七堂伽藍を建立したのが始まり。平安時代になって、嵯峨天皇の勅願によって来錫、当時の寺はかなり荒れていたという。弘法大師は堂宇を再建、近見山円明寺と名付けて、信仰と学問の中心道場にした。その後、寺は幾度となく兵火を受けたため場所を移動。享保12年(1727)には現在の場所に移る。明治時代に入って、それまでの俗称とされてきた延命寺に改称する。その理由は第五十三番札所の円明寺と同じ名前だったので、郵便物が間違って届くなどのトラブルが多かったからだそうだ。本堂は昭和3年に移転・新築された。
 文永5年(1268)には、この寺の西谷坊で凝念国師が八宗綱要1200余巻を書き上げた話は有名。
 このほか境内にある含霊堂(礼拝堂)には明治初期より全国永代供養の霊碑がまつられており、往時の寺運を物語っている。不動明王、十二諸尊西国三十三カ所の観音様、薬師如来座像、阿弥陀如来像、びんずりさんがまつられているほか、古文書も収蔵している。またこの寺では、生国不詳、元禄4年(1691)に四国巡礼中に没した真念法師の道しるべ石も残されている。真念法師は50余年の間に二十数回霊場を巡拝した。その間、他の巡拝者のために数々の慈善事業を行っており、道しるべ、標石、札所間の里程、善根宿、四国巡礼霊場記事などを手がけた。当時の道しるべは今や少なく、延命寺のものは四国で2番目に古いのではとされている。

▲すっきりとしたたたずまいが美しい本堂


▲延命寺大師堂
山門
 明治初期の廃藩置県の際には、多くの名城が取り壊された。この寺の山門は、今治城城門の一つを譲り受けたもの。総欅造りの立派なたたずまいは、ひときわ目をひく。山門をくぐると四季折々の花が咲く境内へ。
▲かつては今治城の城門だった山門
梵鐘

▲近見二郎と名付けられた梵鐘
 今治市指定の文化財。宝永元年(1704)、当時の住職が私財を投じて鋳造したもの。周囲には延命寺(円明寺)の由来が刻み込まれている。この近見二郎は現在は引退しており、近見三郎が代わって使われているが、年1回の除夜の鐘では二郎の音色が聞ける。
ここが見所
銘木つぶらじい
 延命寺が当地に移った際に植えられたといういわくがある。目通り3m、高さ20余mにも及ぶこの木は、近辺では珍しい堂々としたたたずまいの銘木だ。
越智孫兵衛供養塔
 江戸時代の庄屋・越智孫兵衛は、農民たちを餓死から救った郷土のヒーロー。「七公三民」の厳しい年貢取立に憂いを感じ、池普請の際に麦粥を竹筒に詰めただけの農民の弁当を役人に見せたという。お陰で役人は、年貢を「六公四民」に免下げした。それ以後も農民の生活向上に寄与し、享保の大飢饉の際には、1人の餓死者も出さなかった。境内にはそんな彼を偲ぶ越智孫兵衛供養塔が建立されており、毎年8月7日には盛大な慰霊祭を行っている。

▲ページトップへ 

※掲載している施設名、営業時間、休み、料金等は、平成14年10月〜11月に調べ たものです。その後、変更されていることが考えられます。あらかじめご了承下さい。なお複雑で変則的なデータに関しては、主要なものだけを表示しています。詳細は直接施設までお問い合わせください。
癒しのくに四国INDEX

Copyright © 1997-2005 GOURMET NAVIGATOR INC. All rights reserved.

香川県 愛媛県 徳島県 高知県