奈良時代の天平年間(729〜749)、行基が不動明王を刻み、今治市の西北にある近見山の頂きに七堂伽藍を建立したのが始まり。平安時代になって、嵯峨天皇の勅願によって来錫、当時の寺はかなり荒れていたという。弘法大師は堂宇を再建、近見山円明寺と名付けて、信仰と学問の中心道場にした。その後、寺は幾度となく兵火を受けたため場所を移動。享保12年(1727)には現在の場所に移る。明治時代に入って、それまでの俗称とされてきた延命寺に改称する。その理由は第五十三番札所の円明寺と同じ名前だったので、郵便物が間違って届くなどのトラブルが多かったからだそうだ。本堂は昭和3年に移転・新築された。
文永5年(1268)には、この寺の西谷坊で凝念国師が八宗綱要1200余巻を書き上げた話は有名。
このほか境内にある含霊堂(礼拝堂)には明治初期より全国永代供養の霊碑がまつられており、往時の寺運を物語っている。不動明王、十二諸尊西国三十三カ所の観音様、薬師如来座像、阿弥陀如来像、びんずりさんがまつられているほか、古文書も収蔵している。またこの寺では、生国不詳、元禄4年(1691)に四国巡礼中に没した真念法師の道しるべ石も残されている。真念法師は50余年の間に二十数回霊場を巡拝した。その間、他の巡拝者のために数々の慈善事業を行っており、道しるべ、標石、札所間の里程、善根宿、四国巡礼霊場記事などを手がけた。当時の道しるべは今や少なく、延命寺のものは四国で2番目に古いのではとされている。 |

▲すっきりとしたたたずまいが美しい本堂

▲延命寺大師堂 |