
 |
       |
 

 |
御詠歌/西方をよそとは見まじあんようのてらにまいりてうくる十らく
本 尊/薬師如来
真 言/おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
宗 派/真言宗豊山派
開 基/行基
石手寺までのアクセス |
松山インターチェンジから、国道33号線を松山市街へ。天山交差点を右折し環状線、更に国道317号線に入る。最初の交差点を左折すると正面にある。約40分。
愛媛県松山市石手2-9-21
089・977・0870
宿 坊/あり(歩き遍路のみ宿泊可能・要予約) 駐車場/あり(500円、80台、門前・境内まで徒歩約3分) |
|
|
 |
|

▲悔い改める衛門三郎

|
 |


歴史・全体像 |
 |
四国霊場でも随一の寺宝・文化財を有する名刹。石手寺は、神亀5年(728)、聖武天皇の勅願によって伊予大守越智玉純が鎮護国家の道場として伽藍を建立。本尊の薬師如来は、翌年の天平元年(729)に行基が開眼した。その時は安養寺と名付けられ、法相宗に属していたが、弘仁4年(813)に弘法大師が来錫、真言宗に改めた。石手寺と称するようになるのは寛平4年(892)から。この改称にあたっては1つの伝説が残されている。上浮穴郡荏原の強欲な長者・衛門三郎は、托鉢をしていた弘法大師に対して心ないふるまいをし、その後8人の男児を失う。改心した三郎は、大師を求めて霊場巡礼に出発。だが、大師に会えぬまま21回目の巡礼で徳島・焼山寺で倒れた。その枕元に大師が現れ、彼の手に「衛門三郎」と記した石を握らせたところ、三郎は安心して息を引き取る。その後、この地の領主・河野氏に嫡男が誕生したが、赤ん坊はなぜか手を開かない。安養寺に願を掛けたところ男児は手を開き、「衛門三郎」と記された石が出てきた。その石は寺に納められ、この時より名は石手寺となった。
平安時代の末には七伽藍を備えており、鎌倉時代の末期には河野氏らによって相次いで堂塔が再建された。現在の堂塔はいずれもこの時代のものである。だが、永禄9年(1566)には、災禍によって十二間四面の金堂など多くの建物を焼失してしまう。しかし、幸いなことに本堂や仁王門、三重塔などは残された。寺域は6万6千平方メートルと広く、焼失を免れた鎌倉時代建立の堂宇をはじめ、宝物館など見どころはいっぱいある。 |
本堂 |
 |

▲国宝の三重塔 |
大きな仁王門は、文保2年(1318)に河野通継が建造したもので、国宝に指定されている。仁王像も2.5mの大きさを誇っており、こちらは13世紀後半の作といわれている。石手寺には重要文化財も多くあり、鎌倉末期建立の本堂と三重塔、元弘3年(1333)建立の鐘楼、建長3年(1251)建立の銅鐘、室町初期建立の護摩堂、河野通清が源頼義供養のために建久元年(1190)に建立した石造五輪塔はいずれも重文指定。特に本瓦葺き、五間四面の堂々とした入り母屋造りの本堂は見応えたっぷり。その東にある三重塔は、本瓦葺き屋根の和様の建造物。塔内には、真言八祖の像が描かれている。
本堂向かって左手にある洞窟・都卒天洞(とそつてんどう)には、八十八カ所霊場と四十九修行場が設けられている。出口は大師堂の裏側へと抜けている。このほか、お山四国八十八カ所霊場、四国三十三観音霊場もある。また、本堂と仁王門の間にある湯音石は、高さ1mほどの角柱で、耳をあてると道後の湯音が聞こえるといわれる。 |

▲本堂は意外とシンプルな雰囲気
|

▲都卒天洞の入口はここ |
ここが見所 |
 |

▲宝物館もぜひのぞいてみたい |
宝物館
衛門三郎ゆかりの小石をはじめ、1100余点の寺宝から常時約100点を展示。いずれも開基以来の歴史を物語る貴重な品
々ばかりである。 |
ここが見所 |
 |
訶梨帝母天堂(かりていぼてんどう)
廃仏毀釈によって破壊された十二社権現社の遺構の1つといわれる訶梨帝母天堂は、鎌倉末期の建立。中には子どもを守る鬼子母神がまつられており、安産祈願の信仰を集めている。妊婦は堂の前にある石を持ち帰り無事に出産を終えたら、石を2つにして返す。そのため、堂の前には小石がうずたかく積まれている。重要文化財指定。 |

▲子育てに御利益があると伝わる訶梨帝母天堂 |
 |
|
 |
|
|
|
▲ページトップへ  |
 |

※掲載している施設名、営業時間、休み、料金等は、平成14年10月〜11月に調べ たものです。その後、変更されていることが考えられます。あらかじめご了承下さい。なお複雑で変則的なデータに関しては、主要なものだけを表示しています。詳細は直接施設までお問い合わせください。
 |
 |
 |

Copyright © 1997-2005 GOURMET NAVIGATOR INC. All rights reserved. |