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癒しの巡礼/四国八十八カ所

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地図四国霊場八十八カ寺巡り
第五十番札所 繁多寺
御詠歌/よろずこそはんたなりともおこたらずしょびょうなかれとのぞみいのれよ
本 尊/薬師如来
真 言/おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
宗 派/真言宗豊山派
開 基/行基

繁多寺までのアクセス
松山インターチェンジから、国道33号線を松山市街へ。天山交差点を右折し、環状線に入る。枝松交差点を越えた1つ目の交差点を右折し、約1km走る。バス停畑寺を越えさらに600m入ると正面にある。約30分。

愛媛県松山市畑寺町32
089・975・0910

宿 坊/なし 駐車場/あり(無料、5台、山門前・境内まで徒歩約3分)
第五十番札所 繁多寺
▲山門をくぐって静寂感いっぱいの境内へ

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水と緑に囲まれたのどかな自然の中にたたずむ古刹
歴史・全体像
 淡路山の中腹、町を見下ろす高台に位置する繁多寺は、松山市内とは思えないほどの静かな風情が魅力。山門に面して右側には市水源池があり、穏やかな水面がのどかな風情を醸している。池の前にはベンチが置いてあり、ここで足を止めるお遍路さんの姿も見受けられる。この寺は、天平勝宝年間(749〜757)に孝謙天皇勅願により行基が開基したといわれる。寺号は光明寺といい、本尊の薬師如来はこの時に行基によって刻まれた。その後は、伊予入道頼義や尭運が再興した。弘仁年間(810〜824)には、弘法大師が巡錫。この寺を四国霊場第五十番札所に定め、名前を繁多寺に改めた。しかしその後、寺は荒廃。それを弘安2年(1279)、元寇の退散祈願の勅命を受けて聞月上人が再興する。さらに、応永元年(1394)には、後小松天皇の意向で七皇室の菩提寺・京都泉涌寺(せんにゅうじ)の快翁和尚が第七世住職に就任。以来、この寺は、高僧が住職となったことで知られる。とりわけ江戸時代の天和年間(1681〜1684)には、名僧・龍湖が住職に。徳川家の帰依を受けることになり寺運は大いに隆盛し、66坊と末寺数百余を有する大寺として栄えたという。
 現在も本堂からは、古刹らしい面影を偲ぶことができる。また、景観樹林保護地域に指定された境内の周辺は、美しい自然の宝庫。とりわけ春の桜、秋の紅葉は見逃せない。
 一方では、時宗の開祖である一遍上人の修行の道場としても知られている。上人がこの寺にいたのは、14歳から修行していた太宰府から帰郷した頃ではないかといわれている。また、正応元年(1288)には亡父追善のための「三部経」を繁多寺に奉納。ちなみに一遍上人はこの翌年に兵庫の観音堂で51歳の生涯を閉じた。

▲庭園のたたずまいも美しい


▲お遍路さんが続々と
本堂・大師堂
 鬱蒼と緑が生い茂る森を借景にした境内は、しっとりと落ち着いた風情が漂う。境内からは松山市街はもとより瀬戸内海までが一望のもと。堂宇の風情もひとしおで、本堂右手の鐘楼には、元禄9年(1696)に信者の浄財により建立された梵鐘が。鐘楼の裏手には大師堂がある。
▲緑に抱かれたかのような大師堂

▲本堂は堂々とした建物
ここが見所

▲厄除け祈願を
歓喜天堂
 高僧・龍湖の頃、徳川家の帰依を得て寺は栄え、4代将軍家綱の念持仏三体の1つである歓喜天をまつった。本堂右手の歓喜天堂は、厄除けや商売繁盛、合格祈願に多くの人が訪れている。

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※掲載している施設名、営業時間、休み、料金等は、平成14年10月〜11月に調べ たものです。その後、変更されていることが考えられます。あらかじめご了承下さい。なお複雑で変則的なデータに関しては、主要なものだけを表示しています。詳細は直接施設までお問い合わせください。
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