西林寺は、天平13年(741)に行基が開基。当時、四国を旅していた行基が、伊予の国司・越智玉純に出会い、2人で語り合った末に徳威(とくい)の里(現在の松山市小野播磨塚あたり)に一寺を建立した。本尊の十一面観世音菩薩も行基が刻んだものといわれている。それから60数年後の大同2年(807)、四国巡錫中の弘法大師はこの寺に逗留。当時の国司・越智実勝とともに寺を現在地に移し、伽藍を再興した。その際に四国霊場の四十八番目の札所に定め、国家安泰を祈願する道場にしたといわれている。寛永年間(1624〜1644)には、火災によって堂宇は焼失。だが、元禄13年(1700)には、松平隠岐守をはじめとする代官や奉行らによって一部が再建された。さらに宝永4年(1707)には西林寺中興の祖・覚栄法印によって本堂と鐘楼が、文化10年(1813)には大師堂が、天保14年(1843)には仁王門が再建された。
様々な御利益が得られると信仰を集めるこの寺。大師堂右奥の閻魔堂の前にある「親子竹」に祈ると、家庭円満の願いを叶えてくれるとか。寄り添うように生えている親竹と子竹は、見るからに仲がよさそうだ。
このお寺を語る上で、もう1つ忘れてはならないのが「杖の淵」の伝説である。弘法大師が巡錫してきた際、この地はひどい旱魃に見舞われていた。そこで彼らを救おうと、大師は錫杖で水脈を探り当て、周辺の田畑を潤したといわれている。寺の西南にある杖ノ淵公園(P115参照)は、その時に大師が見つけた水脈の1つといわれており、今なお美しい水がこんこんと湧き出していて、市民の憩いの場として親しまれている。日本の名水百選にもなっている杖の淵の湧き水は飲むこともでき、名水が流れる小川には刺身のツマに使われるテイレギが自生している。 |

▲水玉模様の服を着た白玉地蔵

▲仁王門からまっすぐ正面が本堂 |