ぐるなびトラベル(インターネット版旅の手帖)
ぐるなびへ
HOME >癒しのくに四国

癒しの巡礼/四国八十八カ所

TOP徳島エリア高知エリア愛媛エリア香川エリア前の寺へ次の寺へ
地図四国霊場八十八カ寺巡り
第四十三番札所 明石寺
御詠歌/きくならく千手ちかいのふしぎにはだいばんじゃくもかろくあげいし
本 尊/千手観世音菩薩
真 言/おん ばざら たらま きりく
宗 派/天台寺門宗
開 基/正澄上人

明石寺までのアクセス
JR卯之町駅から国道56号線、宇和警察署の手前の信号を左へ。次の信号を左折、岩瀬川手前で左折し、進むと正面にある。約3分。大洲インターチェンジから約35分。

愛媛県宇和町明石201
0894・62・0032

宿 坊/あり(要予約、団体のみ宿泊可能) 駐車場/あり(無料、200台、入口階段前・境内まで徒歩約2分)
第四十三番札所 明石寺
▲駐車場からは緩やかな石段を上る

お寺の場所を地図で見る近辺の宿泊施設一覧

修行の地は女神の伝説からその名が付いた
歴史・全体像
 明石寺は、欽明天皇(539〜571)の時代に、勅願によって円手院正澄という行者が千手観世音を安置。七堂伽藍を建立して開基したといわれている。天平6年(734)には、寿元行者が紀州熊野より十二社権現を勧請。12坊を建立して、修験の道場とした。ちなみに、寿元行者は石鎚山を開いた役行者から5代目にあたる人物だ。さらにその後の弘仁13年(822)、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が巡錫。荒廃した伽藍を再興し、霊場に定めた。建久5年(1194)には源頼朝が自身の命の恩人である池の禅尼の菩提を弔って、阿弥陀如来を安置。同時に経塚を築いて、堂宇の修繕を手がけた。この時に山号は「現光山」から「源光山」に改められたという。その後は武士の帰依が篤く、室町時代には西園寺氏の祈願所となったほか、寛文12年(1672)には、宇和島藩主伊達宗利が、現在の御堂を建立したと伝えられている。
 明治維新までは神仏習合であった明石寺は、かつては伽藍は明石上の坊、住職は別当職と呼ばれていたという。当時、神殿には熊野権現をまつっていたが、神仏分離で分かれたため、熊野神社は独立した。
 仁王門を入ってすぐ右手には、弘法大師の修行の跡といわれる「弘法井戸」などの見どころもある。
 また、寺の名は「めいせきじ」と呼ぶが、本来は「あげいしじ」であったため、土地の人は今なお
「あげいしさん」または「あげしさん」と呼ぶことも多い。また、寺を代々管理する住職の姓は「明石」で、こちらは「あかし」と読む。

▲趣を感じさせる仁王門


▲かつてはお遍路さんの道場であった
本堂

▲本堂も趣深い建物
 現在の本堂は、明治時代に全国の信者の浄財によって建立されたもの。左右が反り、中央が膨らんだ唐破風造りの屋根は、宮殿を思わせる造り。鬱蒼とした緑を背に、風格を漂わせている。屋根は珍しい赤瓦だ。本尊は千手観音だが、これは唐渡来の仏像といわれている。
大師堂
 大師堂は、本堂に比べるとやや小ぢんまりとした印象。参拝した人が氏名を書いた納札が、何枚も貼られている。
▲小ぢんまりとした可愛い大師堂
ここが見所
しあわせ観音像
 本堂裏手の山上には、西国巡拝の婦人が寄進した「しあわせ観音像」が鎮座。左手に水瓶を持った観音像は、実に慈悲深いお顔をしている。また、周辺には西国三十三カ所の石像を配置しており、巡拝することができる。
本堂外陣の天井絵
 思わぬ見どころは本堂外陣の天井絵。これは明石寺の信徒が松に鶴、竹に雀、亀などのお目出たい絵柄の絵馬を描いて奉納したもの。1枚1枚に氏名と年齢が記入されており、それぞれが実に個性的で楽しい。華やかな色合いが、落ち着いた雰囲気の寺に彩りを添える。

▲ページトップへ 

※掲載している施設名、営業時間、休み、料金等は、平成14年10月〜11月に調べ たものです。その後、変更されていることが考えられます。あらかじめご了承下さい。なお複雑で変則的なデータに関しては、主要なものだけを表示しています。詳細は直接施設までお問い合わせください。
癒しのくに四国INDEX

Copyright © 1997-2005 GOURMET NAVIGATOR INC. All rights reserved.

香川県 愛媛県 徳島県 高知県