明石寺は、欽明天皇(539〜571)の時代に、勅願によって円手院正澄という行者が千手観世音を安置。七堂伽藍を建立して開基したといわれている。天平6年(734)には、寿元行者が紀州熊野より十二社権現を勧請。12坊を建立して、修験の道場とした。ちなみに、寿元行者は石鎚山を開いた役行者から5代目にあたる人物だ。さらにその後の弘仁13年(822)、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が巡錫。荒廃した伽藍を再興し、霊場に定めた。建久5年(1194)には源頼朝が自身の命の恩人である池の禅尼の菩提を弔って、阿弥陀如来を安置。同時に経塚を築いて、堂宇の修繕を手がけた。この時に山号は「現光山」から「源光山」に改められたという。その後は武士の帰依が篤く、室町時代には西園寺氏の祈願所となったほか、寛文12年(1672)には、宇和島藩主伊達宗利が、現在の御堂を建立したと伝えられている。
明治維新までは神仏習合であった明石寺は、かつては伽藍は明石上の坊、住職は別当職と呼ばれていたという。当時、神殿には熊野権現をまつっていたが、神仏分離で分かれたため、熊野神社は独立した。
仁王門を入ってすぐ右手には、弘法大師の修行の跡といわれる「弘法井戸」などの見どころもある。
また、寺の名は「めいせきじ」と呼ぶが、本来は「あげいしじ」であったため、土地の人は今なお
「あげいしさん」または「あげしさん」と呼ぶことも多い。また、寺を代々管理する住職の姓は「明石」で、こちらは「あかし」と読む。 |

▲趣を感じさせる仁王門

▲かつてはお遍路さんの道場であった |