静かな農村地帯にたたずむ龍光寺は、三間平野を見下ろす、小高い山の中腹に位置している。まずは石の大きな鳥居が出迎えてくれるが、これはもとの本尊が稲荷大明神だったため。それゆえに、今でも地元では「三間のお稲荷さん」の愛称で親しまれている。
寺の配置は他の霊場と少し違っている。山門はなく、鳥居をくぐって50段ほどの石段を上ると本堂と大師堂があり、さらに41段の石段を上ると正面が稲荷神社だ。境内に足を踏み入れた瞬間は、まっすぐ延びた石段の上に立つ神社の屋根しか見えないので驚く。大師堂と本堂は、稲荷神社より一段低い場所の左右にある。
この寺の開基については、1つの伝説が残されている。大同2年(807)、この地を巡錫していた弘法大師は、稲を背負った白髪のおじいさんに出会った。老人は大師に「われこの地に住み、法教を守護し、諸民を利益せん(私はこの地にずっと住み、仏教の教えを守って、諸民の幸せを守りましょう)」と告げると姿を消してしまう。大師は老人を五穀大明神の化身であろうと考えて、尊像を刻んで稲荷大明神として安置。稲荷山龍光寺を開基した。
その後、龍光寺は稲荷寺として信仰を集めたが、明治初年の神仏分離令でもとの本堂を稲荷社にし、新しく本堂を建立した。現在、本尊は十一面観世音菩薩に変わり、脇士の不動明王・毘沙門天の傍らには、稲荷大明神がまつられている。
お稲荷さんというのは、もともとは稲を象徴する神様であり、五穀豊穣の祈願に御利益があるとして信仰を集めていた。しかし、江戸時代には商売繁盛や開運の御利益を求める人が増えたという。そのため、かつての龍光寺も商売をしている人が多く訪れていたそうだ。 |

▲苔むした狛犬が仁王様に代わってお出迎え

▲樹木や花が植えられた境内

▲歩き遍路ならぬ走り遍路で巡拝 |