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癒しのくに四国
御詠歌/南無文殊三世の仏の母ときくわれも子なれば乳こそほしけれ
本 尊/文殊菩薩
真 言/おん あらはしゃのう
宗 派/真言宗智山派
開 基/行基
竹林寺までのアクセス
高知インターチェンジから高知北環状線で高知市街方面へ。国道32号線に左折、高須新町4丁目交差点で右折した後、五台山方面へ。標示に従って山道を登ると、左手にある。約25分。
高知県高知市五台山3577
088・882・3085
宿 坊/なし 駐車場/あり(無料、70台、境内横・境内まで徒歩すぐ)
▲山門のたたずまいも見事
歴史・全体像
竹林寺は神亀元年(724)、聖武天皇の勅願により行基が開創した土佐屈指の古刹。聖武天皇は文殊菩薩の聖地・中国五台山で文殊菩薩に会う夢を見て、国内で五台山に似た山を探し出すことを行基に命じる。諸国を歩いた行基は土佐の五台山を選び、本尊の文殊菩薩を自ら刻んで堂塔を建立した。その後、大同年間(806〜810)には弘法大師が来錫。瑜伽行法を修し、堂宇を補修した。江戸時代に入ってからは土佐藩主の帰依を受けて、寺運は大いに隆盛する。堂塔は土佐随一の荘厳さを誇り、名僧が集まってきた。そのため「南海第一道場」と呼ばれ、学山(学問寺)として土佐の信仰や文化の中心地となる。土佐の有名な民謡『よさこい節』に登場する僧・純信も、江戸時代末期にこの寺の脇坊である南の坊に住む修行僧の一人だったとか。だがそんな名刹も明治の廃仏毀釈により廃寺に。堂宇は打ち捨てられ、僧たちは離散するが、その後再興された。
▲五重塔の斜め向かいにある一言地蔵は、1つだけ願いを叶えてくれるとか
本堂(文殊堂)
寛永20年(1643)の火災の後、土佐二代藩主・山内忠義によって造営された本堂は、二層の仁王門をくぐり、石段を登ったところにある。本尊の文殊菩薩座像をまつっていることから、文殊堂と呼ばれる。五間四面入母屋造り、柿(こけら)葺きの建物の周囲には緑がめぐらされ、中央に階段が設置されている。建造は室町時代といわれている。本尊の文殊菩薩は、4人の侍者を従えて獅子に乗った「騎獅子文殊」で、50年に1度しか開帳されない秘仏。同様のものでは日本最古で、本堂とともに国の重要文化財に指定されている。次回の開帳は2014年。侍者の像は宝物館で拝観できる。
▲海抜144mの五台山の山上にある本堂
大師堂
▲本堂とは対照的に、シンプルな大師堂
本堂の向かい側にあり、寛永21年(1645)に土佐二代藩主・山内忠義によって造営された。五台山山麓には大師が堂宇を補修した際に投げた独鈷杵(どっこしょ)が当たり、そこに湧いたとされる独鈷水がある。また、弘法大師が修行の際に座ったとされる座禅石も残っている。
ここが見所
名作庭家の手による庭園
池泉観賞式の庭園の見事さも竹林寺の魅力のひとつ。客殿の西部と北部に広がる庭は、名作庭家・夢窓国師(疎石)の手によるものといわれている。夢窓国師は禅僧で、文保2年(1318)から2年間、土佐の地を訪れ、五台山山麓に草庵を結んだ。山畔を利用して造られた北庭、中国の廬山と 陽湖(はようこ)を模した西庭とがある。江戸中期には、一部分が嵯峨流庭園として改められた。昭和9年、名勝の指定を受けており、県内三名園にも数えられている。
ここが見所
▲優美な姿を誇る五重塔
総檜造りの五重塔
竹林寺にはかつて三重塔があったが、明治32年、台風で倒壊してしまう。現在、境内にある五重塔は高知県で唯一のものとして、昭和55年に完成。高さ31・2mの木造の塔は、国内でも珍しい。総檜造りで、鎌倉時代初期の様式にならっている。塔内にはインド・ブッダガヤから勧請された仏舎利を納め、初層内陣には大日如来を奉安している。
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