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癒しのくに四国
御詠歌/忘れずも導きたまえ観音寺西方世界弥陀の浄土へ
本 尊/千手観世音菩薩
真 言/おん ばざら たらま きりく
宗 派/高野山真言宗
開 基/弘法大師
観音寺までのアクセス
藍住インターチェンジから県道1号線を徳島市内へ行き、国道192号線と合流すると石井町方面へと走っていると看板があるので、それに沿って県道123号線へ。約20分。
徳島県徳島市国府町観音寺49-2
088・642・2375
宿 坊/なし 駐車場/あり(無料、6台、境内すぐ横・境内まですぐ)
▲大師堂
歴史・全体像
聖武天皇が諸国に命じて、国分寺、国分尼寺を創立させたのと同年の天平13年(741)、同じく聖武天皇の勅願道場として創立。その後、弘仁7年(816)に弘法大師がこの地を訪れ、等身大の千手観世音菩薩を刻んで本尊として、両脇侍に不動明王と毘沙門天を安置した。これは観音菩薩の功徳と不動明王の威力、毘沙門天の授福にあやかるということで、焼山寺の三面大黒などと共通した様式。寺はその後長宗我部軍の兵火によって焼失したが、万治2年(1659)に再建されて現在に至る。
かつて阿波の国の中枢があったこの場所も、現在は昔ながらの田舎町といった感じの住宅街の中。毎日朝早くからお参りにやって来るという近所の人も多いらしく、町と溶け合った親しみやすさを持つ。ここの境内はこぢんまりとしていて、鐘楼門を入ったすぐ目の前に本堂、その右手に大師堂、本堂と大師堂の間に地蔵尊が祀られているのみ。寺の堂宇は江戸初期の建築様式の特徴が随所に見られる。
本堂
本堂には松葉杖などの奉納物が多く、堂内には炎に包まれた女性が描かれた額が掲げられている。これはこの寺の境内で起こった不思議な実話に基づいて描かれたもので、明治時代、淡路島から訪れた6人連れがこの寺を訪れた時、ちょうど雨が降りだしたので茶堂で休み、焚き火で白衣を渇かしていた。ところがこの時1人の女性の白衣に火が燃え移り炎に包まれたが、周囲の人々の救出で一命をとりとめた。災難だったとみんなで慰めていると女性は神妙な顔で、「実は昔、仲の悪かった姑を柱に縛りつけて、薪の燃え残りで叩いていじめたことがある」と告白。大師からその戒めを受けたと深く反省し、この絵を奉納したのだという。
▲のんびりとした町中に佇むお寺
▲境内に対して大きな本堂は、鐘楼門を入ってすぐの正面に
▲本堂横には、立派な水子地蔵尊も祀られている
ここが見所
夜泣き地蔵
大師堂右岩の中にある夜泣き地蔵尊は、子供の夜泣きを止めてくれる地蔵尊として、夜泣きに困った親たちがお参りにくるそう。夜泣き封じをお願いして夜泣きが治まると、ご利益にあずかった人達がお礼に新しいよだれかけを奉納していくらしい。そのためこの地蔵さんにはいつも何枚ものよだれかけが掛かっている。また子供だけでなく、お年寄りで夜眠れない人が、夜よく眠れるようにという願いも叶えてくれるそうだ。
鐘楼門
境内の中にあっては一際目立つのが鐘楼門。和様重層の堂々とした門で見応えもたっぷり。また他の寺とは違い、境内と外界の境を塀ではなく、「金五拾円」「金二百円」などという寄進額を彫り込んだ石柱で区切っている。
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