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「踊る阿呆と阿波尾鶏」「踊る阿呆と阿波尾鶏」








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ぞめき
  阿波おどりの季節が近づいた。街のあちこちで夜な夜なお囃子が沸き立ち、思い思いの練習(という名目の夜遊び)が賑わっていることだろう。あの踊りを一度味わった者としては、離れていてもこの季節には身体がぞめく。ちなみに「ぞめく」とは心身がそわそわと浮き立って、押さえが利かなくなることをいう。古典落語に「二階ぞめき」という噺があるな。
 ぞめいてきた。阿波へ行こう。で、今回食いにやって来たのは、その名もずばりの阿波尾鶏。

地鶏
 地鶏というのは、その地方に根付いて飼われていた在来種の鶏のこと、で良いだろう。日本で鶏がいつ頃から飼われているものか知らないが、そんな古い話は置くとして、要するに輸入種が導入されて以降、それとの対比で言われはじめた用語であろう。
 日本の養鶏は、第二次世界大戦前まではほとんど産業といえるようなものではなかった。鶏は本来卵を生ませるためのもので、採卵養鶏のハネられた鶏や、卵を生まなくなった廃鶏が、ツブされて食肉にされていたにすぎない。
 食肉用に鶏が飼われはじめたのは1950年代のことで、白色レグホーンとかプリマスロックなど、聞き覚えの名前からも判るように、輸入種であったが、この頃はまだ卵と肉の兼用種であった。1960年頃、アメリカからブロイラー専用種が導入され、同時に飼育設備や食肉処理機械も輸入されて、養鶏は一気に近代産業として確立されていく。
 どのくらいスゴイものかを数字で示しておこう。1965年に年間出荷量が約1億羽、11万トンであったものが、5年後の1970年には3億羽 、50万トンになり、ピークであった1987年には約7億5千万羽、190万トンにまで伸びている。
 1987年以降は、いずこも同じ、輸入鶏肉に押されて出荷量は下降気味ではあるけれど、それでも年間約6億羽、160万トンあたりで推移している。これだけの鶏肉を1億2千万人の日本人が食っているわけだ。

食肉工場
 徳島県美馬郡に阿波尾鶏の出荷元があると聞いて訪ねてみた。吉野川流域の田園の中に建つ大規模な工場である。貞光食糧工業有限会社の宗廣吉郎と井内弘行に案内されて、工場内を見学させてもらった。
 まさに工場見学である。機械で裸に剥かれ首を切られた鶏が、ベルト状のフックに吊られて流れてくる。その状態のまま、途中で鶏は冷蔵庫の中を通り、冷やされて出てきて、機械で内臓が抜かれ、部位別に自動的に切り分けられていく。まったくのオートメーション。想像はしていたが、これはなかなかに圧巻である。
 我々の世代には、子どもの頃に鶏をシメる現場を目撃したばっかりに、今も鶏肉が食えないという輩が少なからずいる。他の生命を食用にせざるをえない、人間の業(カルマ)に直面したわけだが、今ここで行われていることは、それさえ超越して、無機的で清潔で、ひどく効率的で、そして哀しい。
 ただし、ここで阿波尾鶏の解体現場を見ることはできなかった。なぜなら、1分間に90羽を処理するこの食肉工場で、一日に出荷される阿波尾鶏は1500羽から2000羽にすぎないからだ。要するにあっという間に終わってしまう。

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※文・写真は『四国旅マガジンGajA009号』(http://www.kk-spc.co.jp/gaja/)からの転載です。基本的には発売した2001年8月1日時点のデータですので、現在は変更になっている場合もあります。なお、住所・電話・料金は2005年6月15日現在のものに更新しています。あらかじめご了承ください。
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