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県外から松山へ客が遊びに来ると、内子町に案内する。JR松山駅から特急に乗れば25分ほどで着いてしまうのだ。これは例えば、同じ起点から路面電車で道後温泉までと、時間距離はほぼ等しい。町並み保存で名を馳せた内子へは、行くかと誘えば大抵の客が素直に頷く。そういえば聞いた名だと、問われて思い出すのであるらしい。想定していたのは道後温泉なり子規堂なりのはずだから、誘い出されて思惑をはずされ、却って感激するもののようだ。そこがこっちのツケメではある。
都会の喧噪を抜けて来た旅の客に、内子はツボの多い町だ。古い芝居小屋の奈落のからくりを見せ、護国の町並みをそぞろ歩きながら、大森さんの和蝋燭の店、森文の醤油屋に案内し、上芳我邸の離れでコーヒーでも飲んで戻れば、相当に気難しい客でもどこかで気を許してくれる。なによりこの町の時間の流れの不思議なゆるやかさが、心を伸びやかにくつろがせてくれるようだ。ゆっくりと休み休み廻って3時間ほどというコンパクトさがまた良い。夕暮れが迫る頃に汽車で松山に戻って、あらためてネオンの巷に繰り出せばいいからだ。
ところがこの度は勝手が違った。どこで聞きつけたものか「内子のハーブ」としきりに噂をする。定番の中にその手の情報はない。知らないというのは却って重宝なもので、こちらも新鮮な旅の気分になった。
「内子フレッシュパーク・からり」に聞き合わせたら生産者を紹介してくれた。国道56号を山道に逸れて15分ほど、うねうねと標高400メートル近くまで登ると10戸ばかりの集落があり、そこに仙波信子の住まいがある。更にその先のハーブ畑で彼女が待っていてくれた。
明るい朝の光のなかにビニールハウスが1棟ある。町のすすめで建てたものだ。中にはミント、ディル、フェンネル、ローズマリーにバジル、当方に判別できるのはこの程度だが、信子に確認するとさっと目で数えて「11種類」と即答してくれた。ミントだけでも代表的なもの4種類が植わっているそうだ。
彼女のハーブ園は「冬のバジル」が売り物なのだ。バジルは本来5月に種を蒔き、盛夏から11月頃まで収穫できるハーブ。昨今のイタリア料理店の隆盛のせいか需要が急激に伸びているのだが、当然冬場は品枯れする。スパゲッティ・バジリコに紫蘇の葉を代用する店があったりする。バジルを通年で供給できたら町の売り物になる、そう焚き付けられて思い切ってハウスを建てた。
信子はここの生まれではない。今住むのは祖父の家だ。長男だった父が家を出て松山で商売を始めた。彼女はそこで生まれ、そして嫁いだ。その頃、仙波の家が絶えるのを憂えた祖父が父に強く迫り、その意を入れて夫婦で改めて養子縁組をし、この家に入った。二人とも農業の経験はまったくなかったという。
「こういうのもUターンというのかしらねえ」と信子は笑う。
子どもの頃よく遊びに来た祖父の家は大好きだった。あの頃と何も変わっていないここの暮らしはとても気に入っている。紆余曲折を経て、いま彼女はそう言う。決断させたのは、当時子どもに喘息の持病があったせいもある。ここに住んできれいに直った。「替わりに亭主が花粉症になって」、今ではご主人はサラリーマン、いわゆる兼業農家になった。
はじめは庭先に趣味で植えたハーブが、だんだん面白くなり、キャベツや胡瓜の畑がハーブ園に変わった。手引き書も情報もなく、手探りの悪戦苦闘だったがそれが却って興を深め、のめり込んだ。商売になるとも思えなかったが、その頃町は葉煙草の転換作物としてハーブに目を付ける。いつしか指導的な立場となり、気がつけばハーブ専業。
「飽きっぽい性格だから、飽きる頃には別のハーブの世話が必要になるサイクルが自分に向いている」。そうやって増やしていったハーブの数は今では200種を越える。
「何年も出番のないハーブも多い。そういうのに注文が入ると、やったね!とハーブに語りかける」。愛しそうに妙なる畑を見廻した。
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※文・写真は『四国旅マガジンGajA008号』(http://www.kk-spc.co.jp/gaja/)からの転載です。基本的には発売した2001年5月1日時点のデータですので、現在は変更になっている場合もあります。なお、住所・電話・料金は2005年5月15日現在のものに更新しています。あらかじめご了承ください。
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